ナンシーのマカロンとはフランス北東のナンシー市で誕生したマカロンのことです。表面が硬くひび割れしていて、中はやわらかい食感で、紙の上に生地を絞って焼き、紙がついたまま販売しているのが特徴です。

目次

名前

Macaron de Nancy

[makaʁɔ̃ də nɑ̃si] マカロン ド ナンシー / フランス語
「ナンシーのマカロン」という意味

Sœurs macaron

[sœʁ makaʁɔ̃] スール マカロン / フランス語
「修道女のマカロン」という意味

構成

分類パティスリー/プチフール
構成マカロン生地
材料アーモンド

砂糖

卵白

誕生した時代・場所・人物

時代17世紀ごろ
フランス
地方グラン・テスト地域圏
ナンシー (Nancy)
人物修道院
ナンシーは18世紀にロレーヌ公スタニスラス王のもとで栄えていた町です

歴史・由来

ナンシーのマカロンが誕生した話については、1868年、シャルル・モンスレ(Charles MONSELET)の著書『食通年鑑』にも詳細に述べられています。

修道院でだけ作られる

ナンシーのマカロンの起源は17世紀までさかのぼります。

1624年、カトリーヌ・ド・ロレーヌ(Catherine de Lorraine)がナンシーの中心にベネディクト修道院を設立します。彼女はフランス王アンリ2世(Henri II)とイタリアのカトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Médicis)の孫で、とても信心深い女性でした。

ベネディクト修道院の戒律はとても厳格で、肉を食べることが禁止されていましたが、お菓子などの甘いものを食べることは許されていました。

16世紀のスペインの修道女であるアビラの聖テレサ(Saint Thérèse d’Avila)が肉の代わりにアーモンドを食べることをすすめていたこともあり、アーモンドを使った様々なお菓子が作られるようになりました。そのひとつがマカロンです。

カトリーヌ・ド・メディシスの料理人がフランスにマカロンを伝えたと言われており、カトリーヌ・ド・ロレーヌもマカロンの作り方を聞いていたのでしょう。

マカロンが町に出る

マカロンは長い間、修道院の中だけでひっそりと作られていました。

1789年にフランス革命が勃発し、影響は宗教界にまで及びました。キリスト教は弾圧され、特権階級に属していたカトリック教会の聖職者は追放されたり、教会への略奪や破壊が行われました。1793年にはミサが禁止され、教会も閉鎖されました。

このベネディクト修道院も閉鎖され、修道女たちは町へ逃げ出しました。修道女のエリザベス(Elisabeth Morlot)とスザンヌ(Suzanne Gillot)はアシュ通り(Rue de la Hache)の医者の家に匿われました。この医者の娘もベネディクト会の修道女だったことにより、保護されることになりました。

そこで彼女らはお礼としてマカロンを作り、町で売り出すことにしました。すぐにマカロンは評判を呼び、このお菓子のことを「修道女のマカロン(Sœurs Macarons)」と呼びました。

レシピが受け継がれる

スザンヌが亡くなったとき、エリザベスはこのマカロンのレシピを引き継いでいくことを決心しました。

彼女はヴォージュ県のサヴィニー出身の姪エリザベス(Elisabeth MARCHAL)とその夫のニコラ(Nicolas MULLER)にレシピを託しました。彼らは菓子職人で、自分たちの店で三代にわたってマカロンの製造を続けました。

1876年、モワネル家(MOINEL)が引き継ぎ、3世代にわたって製造しました。

次に、1935年にはアプテル家(APTEL)がガンベッタ通りにあった菓子店を購入し、後に「修道女のマカロンの店(Maison des Sœurs Macarons)」という看板を掲げました。

1991年にはパティシエであるジェノ(Jean- Marie GENOT)が「修道女のマカロン」を引き継ぎました。2000年からは息子ニコラ氏(Nicolas)が引き継いで、昔と同じレシピでマカロンを製造しています。

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