クッサンドリヨン

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クッサンドリヨンとは?

クッサンドリヨンとは、クッションの形をしたリヨン特産の砂糖菓子のことです。

ターコイズブルーの鮮やかな色をつけたアーモンドペーストの中に、キュラソーで香りをつけたチョコレートガナッシュを詰めています。

火を通していないためコンフィズリー(砂糖菓子)にあたります。

クッサン・ド・リヨン
リヨンの町で売られています
クッサン・ド・リヨン
中身

フランス語の名前

Coussin de Lyon

[クサン ド リヨン] クッサン ド リヨン / フランス語
« coussin » は「クッション」で、« Lyon » はフランス南東の都市
「リヨンのクッション」という意味

クッサンドリヨンの構成

分類砂糖菓子 / コンフィズリー
構成アーモンドペースト
ガナッシュ
材料アーモンド

砂糖

チョコレート

リキュール

クッサンドリヨンの由来

時代1960年(20世紀)
フランス
地方ローヌ・アルプ
リヨン
人物・店ヴォワザン(Voisin)

クッサン・ド・リヨンの起源は、フルヴィエールの丘と深い関係があります。フルヴィエールの丘とはリヨン市内を見渡せる小高い丘のことで、現在ではフルヴィエール大聖堂が立っています。

リヨンのフルヴィエール大聖堂
ベルクール広場から見えるフルヴィエール大聖堂

中世時代の14世紀、ヨーロッパでペストが大流行しました。ペストとは元々ネズミに流行っていた感染病で、感染すると皮膚が黒くなることから黒死病と呼ばれ恐れられていました。フランスでは人口の1/3〜2/3にあたる2,000万〜3,000万人が死亡したと言われています。

その後、17〜18世紀にも何度か流行し、1643年にはリヨンでもペストが発生しました。

ペストが広まり始めると、リヨンの住民はフルヴィエールの丘にあるマリア像に祈り、7リーブルのろうそく1本と1枚の金貨をのせた絹製のクッションを捧げました。

リーブル(libre)とは、当時の使われていた重さの単位のことで、1リーブルは500gほどの重さです。つまり、7リーブルは3.5kgほどの重さです。

重さの単位は当時は共通化されておらず、時代や地域によって重さが微妙に違っていましたが、1リーブルは人間にとって1日に必要な穀物の重さを基準にしていました。

リヨンの人々は賢明に祈りをささげました。すると数日後、突然ペストが治まりました。

ペストの流行から救われたことに感謝して、1643年にリヨンの人たちはフルヴィエールの丘に小さな教会を建てました。

時は流れ、1843年にフルヴィエールの丘の教会建設の200周年を記念して金のマリア像がささげられました。

フルヴィエール大聖堂の金のマリア像
金のマリア像は大聖堂に残されています

1870年、フランスとプロイセンの間で戦争(普仏戦争)が始まります。プロイセン軍はリヨン方面にも攻め込んできました。

リヨンの人々は再び奇跡を信じ、フルヴィエールの丘の金のマリア像に祈りをささげました。すると、プロイセンの軍隊は停止し、撤退していきました。リヨンの街は戦争から逃れることができました。

リヨンの人々は2度目の奇跡を祝して、フルヴィエールの丘に大きな教会を建てることにしました。それが今のフルヴィエール・ノートルダム大聖堂です。1872年に建設が始まり、1896年に完成しました。

1843年から毎年12月8日にリヨンの救済をマリア様に感謝して、街中にろうそくを灯すお祭りが始まりました。これが光の祭典(Fête des Lumières)の起源で、今でも毎年12月8日前後に4日間に開催され、期間中は街中が光に包まれるリヨンを代表する大きなイベントです。

リヨンの光の祭典「フェット・デ・リュミエール」
光の祭典「フェット・デ・リュミエール」

1960年、この伝説の中にでてくるマリア様にささげた絹製のクッションをイメージして、クッサン・ド・リヨンが作られました。作ったのは1897年に開業したリヨンの老舗コンフィズリーであるヴォワザン(Voisin)です。

クッサン・ド・リヨン
クッサン・ド・リヨン

今ではリヨンを代表するお菓子となっており、観光客だけではなく住民にも愛されています。

ヴォワザン(Voisin)ではクッサンドリヨンをネットでも販売しています。

リヨンの有名なお菓子

もりりん
パティシエ
フランスのパティスリーで働いでいます。フランスの大学の歴史学科で勉強してます。よろしくね
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