バルブ・ア・パパはフランス語で「綿菓子」のことです。「父さんのヒゲ」を意味し、綿菓子の形がヒゲに似ていることから名付けられました。現在では世界中で食べられており、ピンク、緑、オレンジ、黄、青に着色されています。
お祭りなど人が集まるイベントの時には欠かせない屋台です。作り方はとてもシンプルで、熱した糸状のふわふわした砂糖を棒に巻き付けて作ります。
フランスでは1900年のパリ万博博覧会をきっかけに広まっていきました。その当時、綿菓子器はガス式でしたが、現在では電気式になっています。
名前
- Barbe à papa
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[baʁb a papa] バルブ ア パパ / フランス語
「父さんのヒゲ」という意味 - Cotton candy
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[kɑtən kændi] コットン キャンディ / 英語
- Candy floss
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[kændi fɫɑs] キャンディ フロス / 英語
構成
分類 | コンフィズリー |
構成 | 糸状の砂糖 |
材料 | 砂糖 着色料 |
誕生した時代・場所・人物
綿菓子は初めアメリカで生まれ、機械技術の発展に伴って作られるようになりました。
1897年、テネシー州のナッシュビルで菓子屋をしていたウォートンとモリソンが初めて綿菓子の機械の特許を出願しました。この機械は電動で、遠心分離で回転させることにより、糸状の砂糖を速く大量に製造することができました。
1904年ミズーリ州で開催されたセントルイス万博博覧会で注目され、68,655本の綿菓子を販売したと記録されています。この博覧会は4月30日から12月1日までで、1日あたりにすると326本生産できました。この当時は1本25セントで、今の価値になおすと8ドル程度です。
一方で、トーマス・パットンは1900年にガスを使った回転式の機械で特許を出願しています。列車で各地を巡業していたサーカス(リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカス)で綿菓子を販売し、子供への普及に成功しました。
アメリカでは、12月7日がナショナル・コットン・キャンディ(National Cotton Candy Day)の日に定められています。
初めの頃は、フェアリー・フロス(fairy floss)と呼んでいましたが、1920年初めにはコットン・キャンディ(cotton candy)と名付けられました。
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