ガトー・ド・サヴォワはフランスのサヴォワ地方で生まれた王冠の形をした焼き菓子です。

卵白と卵黄を別立てにしたビスキュイ生地で、油脂が入っておらず、キメが細かく軽い食感のお菓子です。

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名前

Gâteau de Savoie

[gato də savwa] ガトー ド サヴォワ / フランス語

Biscuit de Savoie

[biskɥi də savwa] ビスキュイ ド サヴォワ / フランス語

構成

分類パティスリー/ガトー
構成ビスキュイ生地
材料小麦粉



砂糖

誕生した時代・場所・人物

時代14世紀後半
サヴォワ伯国(現在のフランス南東部)
地方サヴォワ地方(現在のローヌ=アルプ地域圏のサヴォワ県とオート=サヴォワ県)
シャンベリー
人物ピエール・ド・イエンヌ(Pierre de Yanne)

歴史・由来

ガトー・ド・サヴォワができた由来は諸説ありますが、最も有名な説を紹介します。

11世紀からフランス南東部に位置するサヴォワ地方と北イタリアを領域としていたサヴォワ伯国がありました。

14世紀後半にサヴォワ伯国を統治していたのがアメデ6世でした。そのころサヴォワ伯国も300年近く存続しており、アメデ6世自身も17代目であるため、そろそろ自分が公爵と格上げとなり、サヴォワ公国になることを熱望していました。そのためには神聖ローマ皇帝より公爵という爵位を授からないといけません。

ある日、サヴォワ伯国の首都であるシャンベリー城で神聖ローマ皇帝カール4世を晩餐会に招くことになり、一世一代の出世のチャンスがめぐってきました。

美食家であったアメデ6世はそれを利用しようと画策し、晩餐会の食卓に豪華な城の形をしたお菓子を並べました。そのお菓子は王冠を載せた壮大な城の形をしていて、非常に軽い触感で、招待客に大変喜ばれました。

特に、神聖ローマ皇帝カール4世も大喜びし、シャンベリーでの滞在を延ばしました。しかし、残念ながら伯爵には格上げしてもらえませんでした。

その城の形をしたお菓子を創ったのはアメデ6世の料理長であるピエール・ド・イエンヌで、アメデ5世の(アメデ6世の父親)の非嫡子でした。

サヴォワ宮廷ではこのお菓子が欠かせないものとなりました。

ちなみに、アメデ6世の望んだ伯爵への格上げは、彼の孫の代に叶い、1416年にようやくサヴォワ伯国は公国となることができました。

このときのお菓子はおそらくビスキュイ生地だったことが考えられます。当時のレシピは現存しませんが、17世紀にビスキュイ・ド・サヴォワのレシピが残っており、卵白のみのビスキュイを用いたと書かれています。

なお、ビスキュイはすでに古代エジプトの時代に存在していました。Biscuit とはBis(2回)+ cuit(焼く)という言葉からきています。2回しっかりと火を通して乾燥させ、保存が効くように作られました。古代ギリシアや古代ローマでもビスキュイを丁字入りのワインや甘いワインに浸して食べていました。

18世紀に入り、ようやく現在のガトー・ド・サヴォワの形や触感に近づいたとされています。つまり、卵の卵黄と卵白のどちらも使うようになりました。

1712年にはルイ・レジェは著書『Le Ménage de la ville et des champs et le jardinier françois』の中で、卵黄と砂糖を混ぜ合わせ、別に卵白のみをふんわりと泡立て、最後に小麦粉と合わせて生地を作ると述べています。

1739年には現在のガトー・ド・サヴォワの形になり、砂糖を小麦粉の2倍加えたレシピです。

卵白だけでなく、卵黄も使うことになったことから、ビスキュイではなく「ガトー」と表記するようになりました。今では「ビスキュイ・ド・サヴォワ」と「ガトー・ド・サヴォワ」のどちらも使っています。

ガトー・ド・サヴォワはお祭りや晩餐会など華やかな席には必ず供されており、18世紀にはテーブルにアントルメと共に飾られていました。アントナン・カレームは食事の最後に華やかさを加えるためにガトー・ド・サヴォワを取り入れました。

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