ビュッシュ・ド・ノエルはフランスのクリスマスには欠かせないデザートです。
この記事ではビュッシュ・ド・ノエルとユールログとはなにか、宗教儀式との関連、考案者について解説します。
ビュッシュ・ド・ノエルとは?
ビュッシュ・ド・ノエルはフランスのクリスマス時期に食べる薪の形をしたケーキのことです。
主にフランスやベルギー、ルクセンブルク、スイス、イギリス、スカンジナビア諸国、ポルトガル、スペインなどのヨーロッパ諸国、ケベック州やアメリカ、ベトナムやカンボジア、日本などのアジアでもさまざまな形をしてビュッシュ・ド・ノエルが作られています。
ブッシュ・ド・ノエルの構成はさまざまなバリエーションがあります。クラシックな例として、薄く焼いたジェノワーズにクレームオブールを挟んで巻き、表面にクリームを塗り、筋をつけ木の皮の模様をつけ、表面にメレンゲやマジパンで作った人形などを飾ります。
現在ではこの限りではなく、ムースやメレンゲ、アイスクリーム、チョコレートで土台を作ることもあります。もはや、薪の形をしていないこともあり、フランスでは縦長の形であれば「ビュッシュ・ド・ノエル」としているようにも感じます。それらのフレーバーもさまざまなものがあり、チョコレートやマロン、キャラメル、ピスタチオ、バニラ、レモンやフランボワーズなどがあります。
12月中旬、クリスマスが近づくとビュッシュ・ド・ノエルがパティスリーにたくさん並びはじめます。大人数用のホールサイズのビュッシュ・ド・ノエルもありますが、ひとり用の小さなものもあります。


ユールログとは?
「ビュッシュ・ド・ノエル」はフランス語ですが、英語圏では「ユールログ」と言います。
「ユール」とは古代ヨーロッパのゲルマン民族とヴァイキングの間で、冬至の頃に行われた祭りのことです。これはキリスト教が成立する以前の習慣で、後にキリスト教と融合しました。現在でも北欧諸国ではクリスマスのことを「ユール」と言います。
「ユールログ」は20世紀初頭には使われるようになりました。
フランス語の名前
- Bûche de noël
-
[byʃ də nɔ.ɛl] ビュッシュ ド ノエル / フランス語
「クリスマスの薪」という意味 - Yule log
-
[ユール ログ]ユールログ / 英語
「クリスマスの薪」という意味


ビュッシュ・ド・ノエルの構成と材料
分類 | パティスリー/アントルメ/アイス |
構成 | ジェノワーズ/ビスキュイ生地 クレーム・オ・ブール/クレーム・シャンティイなど |
材料 | 小麦粉 卵 バター 砂糖 生クリーム チョコレート等 |


ビュッシュ・ド・ノエルの由来
ビュッシュ・ド・ノエルはキリスト教が広まる以前の多神教の信仰と繋がりがあります。
ビュッシュ・ド・ノエルと宗教の関係
古代のヨーロッパでは地域ごとに様々な神々が崇拝されていました。神殿や祭事が日常的に行われ、翌年の豊作を祈願するために神への供物として木の幹を数日間燃やすという習慣がありました。
その習慣のひとつが南フランスのプロヴァンス地方にあり、冬至に大きな果樹の丸太を火にくべる儀式が行われていました。薪に火をつけるこの儀式は新年の最初の太陽の火であるとみなされ、新しい火の復活を予兆するものでした。これをオック語で 「カチョ・フィオ(Cacho fio)」といい、暖炉で灯される「薪」のことを指します。
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その後、キリスト教が成立し、降誕祭(12月25日)と冬至(12月21日か22日)に行われていたこの習慣とが融合し、中世時代も様々な異教の儀式から受け継がれました。それはクリスマスイブに炉で大きな薪を燃やす習慣で、新年までの12日間燃やし続けるのが理想とされていました。
誰が考案したのか?
19世紀後半になると、産業革命によって人々が農村から都市へ移り住み、都市の人口が急速に増えました。その結果、都市に集合住宅(アパート)が次々建設され、薪よりも効率の良い石炭が主な燃料となりました。暖炉文化は次第に衰退し、ストーブや集中暖房が導入されました。
つまり、昔からの習慣であったクリスマスに薪を暖炉で燃やすという習慣も徐々になくなっていきました。
この習慣をグルメな方法として楽しもうとしてビュッシュ・ド・ノエルはパティシエによって考案されました。誰が作ったのかについては複数の説があります。
まずは、1874年(または1879年)にパリの菓子職人アントワーヌ・シャラボ(Antoine Charabot)が考案したという説です。また、19世紀に活躍した美術史家で有名なパティシエであるピエール・ラカム(Pierre Lacam)とも言われています。ほかにも1830年から19世紀末にかけてパリやリヨンで生まれたという説もあります。
いずれにせよ、ビュッシュ・ド・ノエルは19世紀に発展しつつあった大都市で誕生し、その後も長きに渡り引き継がれていきました。